キリストの役割

宇宙、未来

 キリストは、聖書に記述されている真実を地上全体に広め、あらゆることが、科学によって説明される時代になったときに、すべての人間にとって、聖書の記述が証拠として役立つようにしなければなりませんでした。

 このために創造者たちは、彼らの中のひとりと、人間の女性との間に子供を儲けることを決め、その子供に、人間には欠けている、ある種のテレパシー能力を遺伝的に授けたのです。

 彼女は、聖霊によって身重になった。『マタイによる福音書』1章18節

 地球人の中からマリアが選ばれたわけですが、彼女の婚約者にとっては、この知らせは明らかに耐え難いことでした。しかし、

 主の使いが現れて言った。『マタイによる福音書』1章20節

 創造者たちのひとりが彼の元へ行って、マリアが「神」の子を宿していると説明したのです。

 創造者たちと連絡を取っていた「預言者たち」は、「神」の子に会うために遥か遠方からやって来ました。創造者たちの一機の宇宙船が、彼らを導いたのです。

 「私たちは東の方でその星を見たので、その方を拝みに来ました」……彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで幼子のいる所まで行き、その上に止まった。『マタイによる福音書』2章2・9節

 創造者たちは、この幼子を見守っていました。

 主の使いが夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこに留まっていなさい。ヘロデが幼子を捜し出して、殺そうとしている」『マタイによる福音書』2章13節

 この王は、「預言者たち」が彼に告げたことから、彼の領地から出たこの「幼き王」を不吉なものと感じたのです。しかし、ヘロデ王が死んだあと、創造者たちはヨセフに、イスラエルに戻ってもよいと知らせました。

 さて、ヘロデが死んだあと、見よ、主の使いがエジプトにいるヨセフに、夢で現れて言った、「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼子の命を狙っていた人々は死んでしまった」『マタイによる福音書』2章19・20節

 イエスが成年に達した時に、彼は創造者たちに連れて行かれて、自分がどのような素性であるかを教えられ、彼の「父」に引き会わされました。そして、自分の使命を教えられ、様々な科学技術の手ほどきを受けました。

 天が開け、神の御霊が鳩のように自分の上に降って来るのを、ご覧になった。また天から声があって言った、「これは私の愛する子、私の心に適う者である」『マタイによる福音書』3章16・17節

 さて、イエスは御霊によって砂漠に導かれた。悪魔に試みられるためである。『マタイによる福音書』4章1節

 悪魔というのは、実は〝サタン〟のことで、前に述べたように、この創造者は、地球の人間からは何も良いものは生じないと、相変わらず確信していました。彼は〝懐疑論者サタン〟として、彼方にある私たちの惑星政府の反対派から、支持を受けていたのです。

 そこでサタンは、イエスに会って彼の知性が確実なものかどうか、また本当に創造者たちを敬愛しているかどうかを試しました。そして、イエスが信頼できる人物だと分かったので、イエスに使命の遂行が委ねられました。

 彼のもとに、より多くの人々を集結させるために、イエスは〝奇蹟〟を行いました。実際には、創造者たちから学んだ科学技術を応用したわけです。

 あらゆる病で苦しんでいる者たちを、すべてイエスのところに連れて来たので、彼はこれらの人々を癒された。『マタイによる福音書』4章24節
 貧しくとも、活気があれば幸いだ。『マタイによる福音書』5章3節

 この一文は、間違って次のように訳されてきました。すなわち「貧しいことは幸いだ」。しかし、もし貧しくても活気があるなら幸せであろう、というのが本来の意味だったのです。──どちらも、意味が全く違います。

 それから、イエスは使徒たちに、地の隅々にまで真実を広めなければならないと語りました。「主の祈り」や「我らの主」と呼ばれている祈りの中に、文字通り真実が明記されています。

 御国が来ますように。御意が天に行われる通り、地にも行われますように。『マタイによる福音書』6章10節

 「天」、すなわち創造者たちの惑星上では、最後には科学者たちが統治するようになり、そして別の知的生命体を創造したのです。地球上でも同じようなことが起きるでしょう。松明の火は再び灯されるのす。

 その深い意味が理解されないままに、何度も何度も繰り返されてきたこの祈りが、今その全体の意味を取り戻したのです。「天に行われる通り、地にも行われますように」イエスは、テレパシーによる集団催眠を用いて、説得力のある話をする方法を教わりました。

 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。それは、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。『マタイによる福音書』7章28・29節

 創造者たちが離れた場所から集中した光線を当てることによって、イエスは病人たちの治療を続けました。

 ひとりの癩病人がイエスのところに来て、……イエスは手を伸ばして彼に触り、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われた。すると、癩病は直ちに清められた。『マタイによる福ふくいんしょ音書』8章2・3節

 麻痺した男性に対しても同様の治療をしました。離れた場所から集中した光線、言うならばレーザーのようなものを用いて、幾重もの層を通過して患部だけを焼き尽くすようになっていました。

 中風の者に向かって、「起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。すると、彼は起き上がり、家に帰っていった。『マタイによる福音書』9章6〜8節

 『マタイによる福音書』ではそれ以上に、イエスは自分の使命について知らせました。

 私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。『マタイによる福音書』9章13節

 イエスがやって来たのは、創造者たちの存在を知っているイスラエルの民のためではなく、むしろ、この知識を世界中に広めるためなのです。

 もっとあとでは、最初のものと同じような〝奇蹟〟が行われています。すべて医学に基づくものです。今日では、心臓移植や他の器官の移植、癩病やその他の似たような病気が治療され、適切な手段によって人々が昏睡状態から回復しています。未開人には、それが奇蹟と受け取られたのです。当時は、このように人間は原始的であり、創造者たちも、現代の地球上の「文明」国家の人間と似通っていました。ただ、創造者たちの方が、科学的にはもっと進歩していましたが。

 さらにその先には、イエスの本当の父が創造者たちの中の誰であるかを、仄めかすのが見られます。

 人の前で、私を受け入れる者は誰でも、私もまた、天に在す、私の父の前で受け入れるであろう。『マタイによる福音書』10章32節

 「天に在す、私の父の前で」。ここにすべてが語られています。「神」は触れることのできないもの、また非物質的なものではありません。彼は、「天に在す」。

 星々は、きれいな照明器具のように天蓋に引っかけてあって、世界の中心である地球の周囲を回っていると信じていた人々にとっては、このことが全く理解できなかったのは明らかです。

 今では、それとは反対に、宇宙旅行が可能になると共に、宇宙の広大さについても理解が深まっていますから、この文章にも全く異なった意味を見いだすことができるのです。

 『マタイによる福音書』の13章には、創造者たちが他の世界に生命を創造するために、彼らの惑星を離れたのがどのようなものであったのか、イエスが譬え話で、詳しく説明する重要な経過があります。

 種蒔き人が種を蒔きに出て行った。蒔いているうちに道端に落ちた種があった。すると、鳥が来て食べてしまった。他の種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないのですぐ芽を出たが、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。他の種は茨の地に落ちた。すると茨が伸びて塞いでしまった。他の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍にもなった。耳のある者は聞くがよい。『マタイによる福音書』13章3〜9節

 これは、他の惑星での生命を創造する、様々な試みを仄めかしたもので、その試みは3度失敗しました。

 1回目は、何羽かの「鳥たち」が来て食べてしまったからですが、実際には、その惑星が創造者たちの惑星にあまりにも近すぎたために、失敗したのです。自分たちに似た人間の創造はいずれ自分たちに脅威をもたらすと反対する者たちが、その惑星に出かけて行って、創造物を破壊したのです。

 2回目の試みは、あまりにも太陽に近い惑星で行われたので、暑すぎて、有害な放射線のために創造物は破壊されてしまいました。

 3回目の試みは、今度は逆に「茨の地」で行われました。この惑星は、非常に湿気が多くて植物が蔓延ったので、自然のバランスを壊し、動物を滅ぼしてしまったのです。この植物だけ世界は今でも存在しています。

 そしてついに、4回目の試みが「良い地」で行われ、それは成功を収めました。ここで重要なのは、そのときに三度の成功を収めたことです。つまり、地球の比較的近くにある他の二つの惑星にも、同じ創造者たちによって創造された、人間に似た生物がいるのです。

 「耳のある者は聞くがよい」……能力のある者は理解できるだろうということです。時機がくれば、探し求めている人には理解できるようになります。他の人々、すなわち見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らない者たち(訳注:『マタイによる福音書』13章13節)には、真実は分からないでしょう。自ら知性を示し、創造者たちの援助を受けるに値する者だけが、援助を受けることになるでしょう。

 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるであろう。『マタイによる福音書』13章12節

 自分たちの知性を示す能力のない人たちは、生き残ることはできないでしょう。人間は、創造者たちから同等の者として認められるのに相応しいことを、ほぼこれまで示してきました。彼らは一つだけ……愛が、少し欠けています。お互いの愛、とりわけ創造者たちに対する愛がです。

 あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、……。『マタイによる福音書』13章11節

 生命が創造された三つの惑星は競争関係にあります。最も立派な科学的進歩を達成する人類、それによって知性を示す人類は、創造者たちの遺産の恩恵けいを受けることができます。創造者たちに対して攻撃的でないという条件つきで、「最後の審判」の日にその遺産を受け取るのです。

 その日というのは、十分に高いレベルまで知識が到達した日です。その時期は、地球人にとってはそれほど遠いことではありません。人間の特性は、

 それはどんな種よりも小さいが、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥がやって来て、その枝に宿るほどの木になる。『マタイによる福音書』13章32節

 「空の鳥」、つまり創造者たちは、人間がそれに値することを示したときに、人間のための知識を持ってやって来て、枝に宿るのです。

 天国はパン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ると、全体が膨らんでくる。『マタイによる福音書』13章33節

 これは、創造者たちが科学の開花を期待している三つの世界についての、もう一つの仄めかしです。

 私は口を開いて譬えを語り、世の初めから隠されていることを語り出そう。『マタイによる福音書』13章35節

 これは最も重要なことの一つですが、惑星には寿命があり、いつの日か居住が不可能になります。人類が生き延びるためには、人間はその時までに他の惑星へ移動するか、あるいは他の惑星に適応できない場合は、他の惑星の環境に適した人間型の生命を創造するか、そのどちらかに着手するのに十分な科学レベルに到達していなければなりません。人間が環境に適応できないならば、その環境に適応できる人間を創造しなければならないのです。例えば、人類が絶滅する前に、全く異なる環境の中で生存できる別の人種を創造して、創造者が絶滅する前に、自分たちの知識を彼らに受け継がせるのです。そのように創造者たちは、遺産が失われてしまうことのないように三つの世界に生命を創造しました。そして、その中で最も優れた一つのみが、遺産を引き継ぐ権利を得ることでしょう。

 世の終わりにも、その通りになるであろう。すなわち、御使いたちが来て、正しい人の中から悪い者を選り分け……。『マタイによる福音書』13章49節

 パンが増えた箇所は、前にすでに説明しました。それは宇宙飛行士たちが使用している、生命の維持に必要なすべての要素を含んだ、大きな錠剤のような形をした濃縮食品でした。「なるパン」とその形は、この錠剤を連想させます。ですから、パン数個分の分量さえあれば、数千人の人々に食べさせるのに十分なのです。

 イエスが水の上を歩いたとき、創造者たちは反重力光線で、その特定の場所の重量の影響をちょうどその時に打ち消し、彼を支えました。

 この光線が実は乱気流を生じさせたことが、後に続いて描写されています。

 しかし、風を見て恐ろしくなり、そして溺れかけたので、ペテロは叫んで、……ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。『マタイによる福音書』14章30〜32節

 彼らが舟に乗り込んだときに「風はやんでしまった」のは、イエスが舟に乗り込んだ時に光線の放射が中止されたからです。もう一つの、全く科学的な〝奇蹟〟です。

 実際には奇蹟というものは存在せず、文明のギャップがあるだけです。もしあなたがたが、イエスの時代に宇宙船、またはシンプルなヘリコプターでさえそれを使って降りたならば、たとえあなたがたの科学的発展レベルの限界だとしても、当時の人々の目には奇蹟を演じていると映ったことでしょう。

 ちょうど、人工照明をつけたり、空からやって来たり、自動車で走り回ったり、テレビを見せたり、銃で小鳥を撃ち落としたりすれば、人々は、あなたがたの機械装置の仕掛けを理解することができないので、それらに神のものとか超自然的な力を見たことでしょう。

 また忘れてはならないのは、あなたがたとイエスの時代の人々との間にある、科学的なギャップと同じものが、今また、あなたがたと私たちとの間にもあることです。私たちは、あなたがたが〝奇蹟〟と見なすような事柄を、いつでも行うことができます。

 でも、あなたがたのうちで最も進んだ人たちにとっては、全くの〝奇蹟〟とは映らないでしょう。数十年前から、人間は科学を発展させる道を歩んでおり、地にひれ伏して捧げ物をするという愚かな行為の代わりに、物事の原因を追求するようになっているからです。

 しかし、私たちの知識は、もし私たちが〝奇蹟〟を行えば、あなたがたの中の天才たちにさえも、それが一体どのような仕組みで行われたのか全く見当もつかないほど高度なものです。ごく少数の特別に知性的な人たちは、恐怖に戦くようなことはないかもしれませんが、大衆はパニックに陥ってしまうでしょう。大衆も、もはや大抵のことには驚きませんが、それでも私たちは、彼らを嘆させるだけのものを持っています。

 人々が理解する必要があるのは、非物質的な〝神〟は存在しませんが、ただ、自分たちの姿に似せて他の人々を創造した人たちがいるということです。『マタイによる福音書』の17章では、創造者たちが再び現れます。

 イエスは、ペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は太陽のように輝き、その衣は光のように白くなった。すると見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。……たちまち輝く雲が彼らを覆い、そして雲の中から声がした、「これは私の愛する子、私の心に適う者である。これに聞け」『マタイによる福音書』17章1〜5節

 この場面が繰り広げられたのは、夜です。イエスが宇宙船の強力なライトで光り輝き、またその宇宙船から、モーセとエリヤが今でも生きていて現れ出たのを見て、使徒たちは肝をつぶしました。モーセとエリヤは「生命の樹」のおかげで生きていたのです。不死というのは、人間の考えている不死の観念とは一致しませんが、これは科学的に現実なのです。『マタイによる福音書』19章30節に、その文章があります。

 しかし、多くの先の者は後になり、後の者は先になるであろう。

 これは、創造者たちが創造されたのと同じように、創造された者も創造者たちになるでしょう、という意味です。

 生命が創造された三つの世界の中で、最も進歩した世界が遺産を受け継ぐことになるのです。進歩の見られない世界は、他の世界に支配されて滅ぼされてしまうでしょう。これは、地球上の諸国民の間についても当てはまることです。

 『マタイによる福音書』の26章では、イエスは、彼の死とその記述を、のちに証拠の役目とすることの重要性を知らせています。イエスと一緒にいた人たちのひとりが剣を抜いて、彼を守ろうとした時、イエスはこのように言いました。

 あなたの剣を元のところに納めなさい。……私が父に願って、天の使いたちを12軍団以上も今、遣わして頂くことができないと、あなたは思うのか。しかしそれでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか。『マタイによる福音書』26章52〜54節

 あとで創造者たちが地球に戻って来たときに、彼らが強奪者や侵略者と見なされないように真実を広めておくためには、イエスは死ぬ必要があったのです。これこそが、聖書と福音書の記述が役立つ点なのです。創造者たちの行為と存在の痕跡を保存し、彼らが戻って来た時に、それと分かるようにしておくためです。イエスは死んだあと、創造者たちの助けによって〝復活〟させられました。

 すると大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降って来て、石をわきへ転がし、その上に座ったからである。その姿は電光のように輝き、その衣は雪のように真白であった。『マタイによる福音書』28章2・3節

 創造者たちはイエスの手当てをし、彼を甦らせました。そうして、イエスは言いました。

 それ故に、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子として、……あなたがたに命じておいた、一切のことを守るように教えよ。『マタイによる福音書』28章19・20節

 イエスの使命は終わりました。

 主イエスは、彼らに語り終わってから、天に上げられ……。『マルコによる福音書』16章19節

 創造者たちは、この極めて重要な最後の一節のあとで、彼を連れて行ったのです。

 終わりの時には……もし彼らが蛇を掴み、また毒を飲んでも、決して害を受けない。また、病人に手をおけば、癒される。『マルコによる福音書』16章18節

 これは、人道的な立場から毒蛇の血清や解毒剤を発見するようになり、また外科手術を発達させるようになるなど──今、同じことが起こっています。
 地球への彼らの到来のための準備として、創造者たちはますます頻繁に現れて、次第に、彼らの啓示に一層の重みを加えるようになるでしょう。これもまた、今、明らかに起こっていることです。

 無花果の木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと自分で気づくのである。『ルカによる福音書』21章29・30節

 現在のように、未確認飛行物体(UFO)が頻繁に出現するようになれば、その時は近づいたのです。さらに、『使徒行伝』の2章には、次のように書かれています。

 五旬節の日がきて、皆が一つの所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来たような音が天から起こって来て、一同が座っていた家いっぱいに響きわたった。また、舌の様なものが炎のように分かれて現れ、ひとり一人の上に止まった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。『使徒行伝』2章1〜4節

 創造者たちは、増幅されたテレパシー波動を一種の電気ショックのように用いて、凝縮して素早く教え込む教育方法を施すことで、使徒たちの記憶に、他の言語の初歩を植え付けて、彼らが真実を世界中に広めることができるようにしたのです。

 『使徒行伝』では、ヘロデ王により獄舎に囚われたペテロを救い出すときに現れた創造者たち、すなわち「御使いたち」が何度か姿を現していることに、特に注意する必要があります。

 すると突然、主の使いが側に立ち、光が獄内を照らした。そして、御使いはペテロの脇腹を突いて起こし、「早く起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の両手から外れ落ちた。御使いが「帯をしめ、履物を履きなさい」と言ったので、彼はその通りにした。それから「上着を着て、ついて来なさい」と言われたので、ペテロはついて出て行った。彼には、御使いの仕業が現実のこととは考えられず、ただ 幻まぼろしを見ているように思われた。『使徒行伝』12章7〜9節

 ペテロは未開人だったので、鎖が独りでに外れ落ちるのを目にして、これは幻だと思ってしまったのです。彼は、創造者たちのひとりが使用していた、電子式のレーザー切断装置を知らなかったのです。

 人は奇想天外な現象に出くわすと、夢を見たと思いがちです。創造者たちを見た人たちが、しばしば夢や幻を見たのだと言うのはこのためです。私たちの空飛ぶ円盤を実際に目撃した人たちが、幻覚を見たのだとしばしば云われるのに、やや似ています。夢を見たと思っていたことが、実は正真正銘の事実だったということが、これでハッキリと説明できますね。

 彼らは……町に抜ける鉄門のところに来ると、それが独りでに開いたので、……御使いは彼を離れ去った。『使徒行伝』12章10節

 その時が到来したという、もう一つの徴は、イスラエルの民が国を取り戻したことです。

 その後、私は帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建てかえ、崩れた箇所を修理し、それを立て直そう。『使徒行伝』15章16節

 もう一つの重要な文章は、『使徒行伝』17章の28節に見つかります。すなわち、

 我々も、確かに彼の子孫である。

 これは、ひとりの使徒が、「神」について話している時に言ったものです。創造者たちに言及する箇所は、まだもっと多くありますが、これ以上、福音書を読み続けるのは止めましょう。なぜなら、それらはあまり重要ではありませんから。あなたに質問する人があれば、これまで私が説明したことに照らし合わせて、あなた自身で解釈できるはずです。

 これだけ話し終えると、彼は今までと同じように去って行きました。

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GORO

GORO

プログラマー歴40年、64歳、ネットイヤーグループで嘱託社員として働いていましたが退職しました。直腸癌にて癌摘出手術を行い、人工肛門、ストマ生活、閉鎖、脱肛、便失禁となりました。

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